デフレの時代でもブランド戦略は有効なのですか?という質問をよく受ける機会が増えたので私の見解を明確にしておきたいと思う。




●デフレ期であっても価格競争に巻き込まれていては多くの企業に利益がもたらされることはない。というのが大前提。


デフレ期に限ったことではないが、低価格戦略ではコストリーダーシップをとれる企業しか儲からない。従って、それに追随するその他大勢の企業がデフレ期に生き残るためには全く逆の戦略で、提供する商品・サービスの(付加)価値を高めることで、新規客を優良顧客の育てると同時に既存の優良顧客との絆を深め、顧客の生涯価値を高める仕組みをつくることが重要だ。(その努力を行っても価格で判断して離れていくお客さまは、本来自分たちが付き合うべきお客さまではなかったのだ。)


もしも我慢できずに、一旦周囲の価格競争の波に同調する道を選んでしまえば、製品・サービス品質の低下を産み既存客離れを誘発するどころか、価格競争でも勝てないために誰からも選ばれない企業になってしまうだろう。


※最近、ユニクロに代表される低価格路線で業績を上げている一部の企業が、業界全体の価格破壊や価格競争、デフレ経済を助長しているという意見が世の中にはある。しかし、その指摘は正しくはない。ユニクロのようにコストリーダーシップの戦略を選択してうまくいくのは、あくまで市場シェアトップの一部の企業だけなのだ。そのことをそれに追随するその他大勢の企業側は再認識し、同じ土俵(価格競争)で戦うのではなく、新しい高(付加)価値を創造し需要を喚起するイノベーション(注1を全業種で起こさなければ勝ち残ることはできないことを再認識しなければならない。デフレ経済を助長している責任とデフレから日本経済を脱却させるカギは、むしろ「その他の企業(多くは中小企業)」にあるとも言えるのである。



(注1一般的に使われる「イノベーション」という言葉は「技術革新」を指して用いられるが、現代ではそれは当てはまらない。(1950年の『経済白書』において、イノベーションが技術革新と訳されたことが発端だが、当時の経済発展の要因は技術そのものであったため、イノベーションは「技術革新」と訳された経緯がある。)成熟社会においてイノベーションはすべての業種において起こさなければならない。つまり、それは技術分野でのみ「コストの見直し」や「機能的価値の刷新」が起これば良いというだけもなく、様々な形の新しい(付加)価値の創造が求められているということである。現代における「イノベーション」とは、「あらゆる業種における様々な高(付加)価値(=ブランド価値)の創造」と同義である。(それはもちろん、ヒトにも当てはまる。)




●マクロ経済政策(政治・金融政策)には景気回復・経済成長は期待できない。

(真に経済成長を担うのは国民・企業でしかない。)


マクロ経済から見た、ブランド戦略の必要性にも触れておくことにしよう。


現在の不況の原因は「デフレ」であると言われているが、このいわゆるデフレ不況を改善させるための方法は大きく三つあると考えられる。


まずひとつは、通貨供給・量的緩和などの「金融政策」により(あくまで緩やかな)インフレを誘発させることで、モノに対する相対的な「紙幣価値」を低下させ、お金を使わせようというものである。


ふたつめは、「財政政策」である。現在の緊縮財政を緩和し、暫定的な「減税」や「公共投資拡大」などによって景気回復を促す手立ても確かにあるが、財政再建という課題を前にしては、短期的な効果は上げられたとしても問題の根本的解決にはつながらないので、この場でのこれ以上の考察は割愛したいと思う。)


そして三つめは前述のような、まずは実体経済における企業の(付加)価値創造イノベーションにより、生活者の「需要」「消費意欲」を促進させることが必要であるという「産業育成論」。(要は、お金を増やす策だけでは無駄。すでに日本人が貯めこんでいる14兆円の金融資産を、どうやって流通させるか?を考えることがまず必要。その策がないのに通貨供給量を増やしてもさらに預金を増やすだけである。という意見。)



まずはひとつ目から見ていこう。金融政策によるインフレ誘発論(一般的には「インフレターゲット」や「リフレ政策」と呼ばれる)は、その「結論(成功した得姿)」だけを見てみると何も間違っていない非常に有効な策に聞こえるかもしれないが、そもそも金融政策ではデフレやインフレの元となる需給ギャップを改善することも、それにより景気を回復することもできないのではないか?というのが私の見方である。金融政策を疑問視する理由は大きく二つある。



(理由1)


インフレを恣意的に誘発する政策を行ったとしても、どこまで通貨を供給していけば実際に起こるのかが専門家であっても非常に読みづらいため、実際はコントロールが利かず行きすぎてしまうリスクがあることに大きな問題がある。

日銀にインフレを完全のコントロールできるような能力(過去実績)があるのであれば、私もそれに期待をしなくはないが、実際問題としてそれを解決する最適な手立てを彼らは講じることができないのではないかと私は思う。

なぜ日銀(政府も)を信頼できないのか?その理由は、日銀が近年の経済危機にどのような対応を取ってきたかを見たら判断できる。日銀は過去、金利を下げ続けバブル(バブル崩壊)を引き起こし、2000年以降も物価上昇率を13%にして需給ギャップを埋めるのが通例であるなかで物価上昇率をマイナス10%に押さえ、デフレ経済を継続させるかのような政策を行ってきた。(当人はそれすら認めようとしないから事態はさらに厄介である。)

そのような日銀に、インフレをコントロールすることを期待するのは難しいのではないかと思わざるを得ない。(そもそも日銀はリフレには後向きの姿勢だが、それは自信がないのか、失敗した時の責任を負いたくないかのどちらかではないかと感じてしまう。)リフレ派の中でも通貨供給の規模などに大きな意見の差があるなかで(要するに明確な答えがない)、日銀は周囲の諸説に惑わされながらリフレ政策を遂行したとしても、良い結果が生まれるとはとても思えない。


※上記の内容は、百歩譲って「うまくいくのであれば金融政策は有効である」という前提で述べたものだが、実際私は「金融政策」そのものに対してさらに懐疑的な考え方を持っている。その理由を下記でご説明しよう。



(理由2)

そもそも需給ギャップが生じる原因というものには、大きく分けて通貨供給量による要因と実体経済の要因とがあるわけだが、現在のデフレの状況は、通貨供給量の影響というよりも、実体経済の需要減少の影響によるところが大きい。そのため、金融政策を正しく実施できたとしても、そもそもの効果はかなり薄いものになってしまう可能性がある。金融政策によってデフレを解消しようとする試みは、デフレの根本的な原因の所在を間違えてしまっているため、リフレ政策を行ったとしても、需給ギャップの根本の原因は解消されない可能性が高いのである。

それだけではない。現在のような、実体経済における将来不安が払拭される見通しのない状況のまま資金供給が行われてしまったら、供給された資金は消費に向かうのではなく、将来への備えとして貯蓄に回る可能性がある。つまりそれは、金融資産への投資につながることになり、資産インフレを起こしてしまう。これでは、通常のモノに対するインフレを起こすことができないどころか、もともと金融資産を多く保有している人々に儲けさせるだけで、貧富の差をさらに広げることにつながってしまうことになる。

また、景気見通しが立たないままインフレが生じた際の別のシナリオとして、仮に資産インフレが起こらず物価水準が上昇するインフレにつながったとしても、それは景気が悪いまま物価だけが高くなる、スタグフレーションの状況を引き起こすだけになるかもしれない。

いずれにしても、「日本が明るい未来に向かって進んでいる」という認識を一刻も早く生活者に持たせることができなければ、どんな金融政策も(財政政策も)意味も成さないということになる。


以上の点を鑑みると、やはり実際問題として今後リフレ政策が行われる見込みは少ないものと考えられる。では、日本の将来不安を払拭させるためにはどうすればいいのか?それは、政府による政策が期待できない中、やはり日本経済をけん引していく供給サイド(企業側)による様々な形の「(付加)価値創造イノベーション」を起こしていくしかないということになる。


経営者にとっても国にとっても産みの苦しみはあるかもしれないが、そこからずっと逃げているわけにはいかない。(成熟社会だからとあきらめてしまえば、閉塞感は払しょくできず衰退の一途をたどることになる。国民に希望を与えてリードしていく人や企業(救世主)の出現が今、求められている。)