●これからの日本経済の「現実」と「理想(目標)」
(内需主導か?外需主導か?それとも…?)


成熟した日本経済においては、全ての業界で企業の(付加)価値創造イノベーションが必要であると述べたが、現状の日本は残念ながら、放っておいてもイノベーションが起こっていくような状況にはない。

政府は「内需主導の経済」を進めると言っているが、それもこのままでは機能しないだろう。「内需主導の経済」というキーワードは、日本経済の課題としてここ数十年ずっと言われ続けてきたことだが、実際のところそれは一度も実現していないのが実際のところであり、このまま放っておけば次に日本に訪れる景気回復も、結局外需主導(外需依存)のものになる可能性が高いと言わざるを得ない状況にある。

その場合は、日本の景気回復の如何は、BRICsやアメリカの景気次第ということになるが、日本の立場は“メイドインジャパン”のブランド力があるのだからと、果報は寝て待てとばかりに胡坐をかいていても、当然だめである。もしもこのまま外需主導経済に移行すれば、2002年~2007年に起きたような「実感の伴わない数値上での景気回復」と、それに乗じた「増税」など財政政策の早計な引き締めが待っている。そのような「名目上(見せかけ)の景気回復」を歓迎するのは既得権益のある一部の人たちであり、一般の国民が恩恵を受けることは少ないだろう。


“メイドインジャパン”のブランドに力はないのか?過去には「世界に誇れる日本」と言われてきたが、単に日本製であることだけで選ばれる時代は終わりを迎えているという危機感を持っておいた方が良い。また、いくらたくさんの市場があるといっても海外ビジネスというものは、通常日本国内で商売してきた常識は通用せず、苦労(コストやリスク)は何倍にも増す上、(付加)価値を高める努力を適切に行わなければすぐに淘汰されてしまう。(言語の障害など、第一のステップに過ぎない。)海外市場には、国内市場以上に強力なライバルとの不毛な競争(=価格競争)の世界が待っていると考えておいたほうがよい。

(もちろん、“世界トップクラス”の何かを提供することができるのであれば、これまで通り提供すればよい。新規産業世界競争の中で1位を取れないのであれば、“日本にしかない強み”をウリにして競争優位性を保持するしかないのだ。以下は企業というよりも、政府の間違った方針の例だが、世界で優位に立てるかどうかも深く考えず、世界的な成長産業だからとむやみにその流れに乗ってしまっては、価格競争に陥る恐れがある。また、新たに新規産業を立ち上げてまでそれを行うことは、今ある多くの既存事業を見捨てることにもなりかねない。)

海外企業の競争力・ブランド力が高まり、相対的に日本ブランドの影響力が衰えている中では、今ある商品をそのまま売るのでは価格競争に巻き込まれるだけであり、世界が日本の何に魅力を感じるかをしっかりと把握し、さらに工夫して(付加)価値をつけなければならない。それができなければ、本当に世界から取り残されてしまう存在になるだろう。



※「日本のブランド価値の確立は、まずはじめに日本人自身が「自信」と「誇り」を取り戻すことによってもたらされる。」

これからのグローバル社会において、日本が世界における地位を高め、本当の意味での景気回復を達成させるためには、まずはじめに日本人は西欧文化を取り入れる形の豊かさを追及する文化を改め(つまり、「西欧コンプレックス」を払拭し)、「日本」の良さを企業のみならず国民一人一人が再認識し、日本人であることの自信と誇りを取り戻すことに力を注ぐべきだと提案したい。

日本を訪れる外国人の中には、日本にあまりにも“Western-Style”があふれていることにうんざりしている人も多いのが現実である。自分たちの文化を語れない、自分たちの文化に誇りや自信を持てないような日本人が、海外から軽蔑されても文句は言えない。

「日本」に住み「日本人」であること自体に、すでに他社から高く評価されうる「価値」があることを我々が認識することができれば、自分たちが生み出したものを自らも消費する(=内需を高める)と同時に、国外に対してもその魅力を押し薦めていく(=外需を高める)という形が自然と出来上がっていくのではないかと思う。(それは日本の金融資産の海外流出を食い止めることにもつながるだろう。)

我々日本人が、そういった「国民」として基本的な視点を持って働くことができれば、必然的に「日本らしさ」と「世界的競争力」(価格決定権と需要喚起能力)を兼ね揃えた独自の高(付加)価値商品群が育ち、グローバル社会の中においても競争力のある持続可能性の高い企業を育てることになる。(最初のうちは、ビジネスライクで「日本」を利用して儲ける形になるかしれないが、まずは、「自分たちにとってあたり前だと思っていることにすでに価値があるんだ」「“日本”=成長産業なのだ」ということを再認識してほしい。そこからがすべてが始まっていく。)

前述、今のままでは「内需を高めるのは難しい」「外需に頼るしかない」と申し上げたが、もしもこの方法が選択・実践されれば、内需と外需を同時に向上させることができる可能性が残っている。(ちなみにこれは、マクロレベルでもミクロレベルでも同じことが言える。)

日本は、内需主導経済ばかりを追い求めて貿易赤字にしてしまうようなことがあってはならないし、本当の意味で国際競争力を高めるためには「これまで通りの外需頼みの経済」の構造も見直さなくてはならない。「内需か外需かのどちらか」という二元論ではなく、上記のやり方で双方を相乗的に高めるためのシナリオを描くことが理想的である。



(想定反論1)


「企業の生産性が高まり合理化が進むことでデフレが起こるのではないか?」


一般的な「生産性」という言葉は、場合によって「効率を高め合理化を進めるためのもの」という意味で用いられることがある。その意味においては、企業が生産性向上を追い求めることで、雇用の海外流出海外と、生産過剰・供給過多によるデフレが加速していくことになることは間違いない。

しかし、その意味での「生産性」と私がここ申し上げている「付加価値生産性」とは根本的に意味が異なるものであることをご理解頂きたい。これからの日本に必要なのは、効率を高めるための「生産性向上」ではなく、あくまで競争優位性を持つ高(付加)価値を生み出すことを目的とした「付加価値生産性の向上」である。(そしてそれは雇用と需要を同時に創出しうるものであり、そのような企業と人材イノベーションがもたらされない限りは、今後本当に意味で日本経済全体の成長(復活)はもたらされない。)


もうひとつ、「生産過剰・供給過多」の問題について述べておきたいことがある。

確かに、「需要」に対して「供給」が過多になることでデフレは起こるのだが、現在のデフレは、「供給」に対して「需要」が減少している(「政治不振による生活の先行き不安」と「全ての業種の商店街化(注2)」による購買意欲が減退)ことで起こっていると考えるべきである。

インフレを誘発させることによって「供給」を減らすことはできるが、それによって生活者の消費意欲が向上するわけではなく、問題の根本の解決策にはならない。(何度も言うが、日本人がすでに持つ金融資産を、どう引き出させるか?を考えることが必要。その策がないのに通貨供給量を増やしてもさらに預金を増やすだけなのである。)

その解決には「政治の健全化」と「企業側が“価格訴求”ではなく、生活者の暮らしをより幸せにできるようなものを供給し、雇用と需要を掘り起こしていく努力」が必要なのだ。(それは決して難しいことではなく、各々の企業が本来持っている「社会的存在価値」「社会的使命」をしっかりと全うしていくことで達成され得るものである。また、その際政治に何かができるとすれば、「それを下支えしその流れを加速させること」である。)

(注2)ほぼ全ての業界において多くの企業が、変革期に入っても経営戦略の転換ができず(付加)価値を創造できなくなってしまっていることで、衰退の代名詞といわれる“町の商店街”のような状況に陥ってしまっている状況にあると言える。



(想定反論2)


「これから少子高齢化が進む中で、経済は縮小する一方ではないのだろうか?」


想定反論1にも関連することだが、人口減少(需要の絶対数の低下)が進む社会の中でも、各々の企業(と人材)が(付加)価値創造イノベーションを目指し、国民一人当たりの付加価値生産性と消費意欲(需要)の値を向上させることができれば、名目上経済は成長し続けていくことになる。そしてそのプラス要因として、人口減少にある中にあってもこれからの日本は、国民の(潜在的な)(付加)価値創造能力は高まる一方であることがあげられる。(希望の光は、これから社会人になっていく世代の非常に高い「情報活用能力(ITリテラシー)」によりデジタルディバイド(情報格差)がなくなっていくことにある。)

少子化が進む中でも、ITリテラシーの向上により国民一人ひとりの潜在的な能力は向上する一方となる。インターネットを利用する人間とそうでない人間との間には非常に大きな情報格差が生まれているが、これからの時代を担っていく世代というのは万人がITリテラシーという大きな武器を持ち備えて育っていくことになる。

ただし、武器といっても、その情報を取捨選択するのも有益な情報を自身の価値や創造性を高めるために有効活用できるかどうかも本人の問題であるがために、現在はあくまで「潜在的な能力」としか呼ぶことができない状態にある。(WEB社会において最も重要視されるべきものは、必要のない情報(ノイズ)を排除し、価値ある情報だけを選別し取り入れる能力である。)ITリテラシーが高まることによって生まれている大きな負の影響も払拭されるべき社会問題になりつつある。

もちろん、日本だけがそのような状況にあるのではなく、他国も同様な環境にある中でこの一点で世界における競争優位を見出すことは不可能だが、世界から情報を得て、世界へ日本の良さを情報発信しやすくできる環境をうまく活かすことができなければ、取り残されるのみである。利用者の意識向上だけでなく、それをサポートする教育も必要となれば、サービス提供者のモラルも大きく問われることになる。(日本が島国であることは、諸外国と接する機会が相対的に少ないというデメリットではなく、独自の魅力ある文化を守り続けてきたというメリットだ。ちなみに、創業200年を超える世界の老舗は7212社あり、最も多いのは日本で3113社。続いてドイツの1563社、フランスの331社と続く。日本に老舗が多い理由は、島国で歴史的に侵略や戦争が少なかったからである。ぜひともその魅力を自ら大切に育てると同時に、積極的に外に発信していきたい。)

潜在能力が高まる日本国民の付加価値生産能力を「余剰」とするのではなくうまく活用するためには、それを引き出すような土壌整備(企業や個人の自助努力のみならず、国による制度改革や支援策などの下支え必要となるだろう。(また、国民(生活者)みんなが情報選択能力を持つようになることは、 “本物”しか選ばれなくなるので、企業側もさらに輪をかけた高(付加)価値提案が必要となる。)

最終的には民間と国、すべてが一体になって同じベクトルに向かわなければ、日本の「成長」はおろか「維持」することも、国民や企業が先行き不安を取り除き、夢を持って幸せに暮らすことのできるような社会も構築できないことを提言しておきたい。


※日本が抱える大量の借金の存在を無視し、人口減少社会なのだからこれからの日本は「成長社会」ではなく「成熟社会」を目指そうという論調も世間にはあるが、それをうのみにするのは危険である。人口減少社会でも毎年数%づつGDP成長していくことを目指さないことには「国民の目先の安定した生活」も「次世代のための日本の明るい未来」も約束されることはない。

日本に昔「貧しくても幸せ」だった時代があったのは、日本が成長していく絵姿(明るい未来)が生活者に見えていたからだ。今の「物質的には豊かでも不幸せ」の状態から抜け出すためには、「成熟社会における正しい(適切な)成長の形(=日本の未来の新しい形)」を一刻も早く見出さなければならないことを忘れないでいただきたい。

ちなみにその「日本の明るい未来」とは、もちろん「物質的な」成長の世界ではなく、企業と人がイノベーションを起こし付加価値生産能力を高めることで消費の新しい形を提案していく、新しい成長の絵姿である。そもそも「物質的な成長」を「成熟」と捉えるのが間違い。物質的な成長により人間はむしろ退化している面があり、そこに新たな市場が生まれる可能性もある。

「人口減少による供給過多」も「成熟」とは呼べない。何度も申し上げた通り、需要のよりどころはいくらでも創造し得るからだ。「需要」を「生活者がすでに持っている顕在的ニーズ」と捉え、思考停止になっていけない。物質的な豊かさの追求で人間は退化している。(様々な問題・負の影響が生まれている。)いつの時代においても個々の供給者には、人間が本当の「成熟」に少しでも近づくために、その道のプロとして生活者をあるべき姿に導く役割・使命があることを忘れてはならない。